こんにちは!Omiです。
今回はこれから久喜市に引っ越しを検討されている方向けに、現在私が居住している久喜市の久喜地区の特徴についてご紹介します。
現在の久喜市は平成の大合併で2010年に旧久喜市・鷲宮町・栗橋町・菖蒲町の4つの自治体が合併したものですが、市名からも分かる通り久喜地区が現在の久喜市の行政・商業の中心部となります。
久喜地区の概要
久喜地区の中心にある久喜駅は、JR宇都宮線(東北線)と東武スカイツリーラインのターミナル駅となっており、大宮までは20分強、新宿・上野までは1時間弱と、市内では最も公共交通機関による交通の便が良い上、東北道と圏央道が交差する久喜白岡ジャンクション、東北道の久喜インターを擁し、車による交通の便にも恵まれています。
面積は25k㎡と久喜市全体の82k㎡の30%程度、人口は総人口15.2万人のうち、6.75万人と全体の44%の人口を擁し、人口密度も最も高くなっています。
江戸時代(1684年)には現在の久喜駅西口にある中央公民館裏に久喜藩の陣屋が置かれ、100年以上に渡り藩庁として発展した歴史が、現在の久喜市の形成に大きく関わっていると言えるでしょう。
陣屋周辺は東の日光街道(国道4号線)、そして常陸や下総などにも道が通じていた事から、交通の要所として宿場町の機能も有していたそうです。(現在はその面影は見られない)
久喜地区の航空写真から見る開発の歴史
久喜には江戸時代から藩庁が置かれ、北関東への交通の要所として発展して来た事から、明治期にも早い段階で鉄道が敷かれ、久喜駅が開業しています。
私は幼少期から大学を卒業するまで、西武池袋線のひばりヶ丘周辺で過ごしており、久喜と言えば父親の実家である山形に帰省する際に利用していた久喜インター(1972年11月13日開業)のイメージしかありませんでした。
久喜はひばりヶ丘に比べると物凄い田舎町だと思っていましたが、ひばりヶ丘周辺が本格的に開発されたのは戦後の高度経済成長期以降であって、それまでは田舎の田園地帯だった事を考えると、関東最古の大社を名乗る鷲宮神社を擁する久喜の方が文化的には断然に古い歴史を持っていると言えます。
現在ネットで閲覧可能な久喜市の航空写真では、1960年代のものが最古となっていますが、かつて陣屋が置かれていた駅の西側から市街化が進んでいる事が分かります。(赤丸が駅)
【1960年代】
以降は昭和40年代に施行された都市計画法に基づいて、駅の北西と南東に向かって市街化が進んで行きます。
【1970年代】
久喜地区に関しては、高度経済成長期における東京都心のベッドタウンとしての開発は既にこの時点で完了しているように見え、以降は西の市街地の外れと接する県道3号線(さいたま栗橋線)の商業地の周辺と、東側に隣接する現幸手市のが開発が進んで行きます。
東北道の久喜インターもちょうどこの時期に開業しています。
【1980年代前半】
【1980年代後半】
【2000年代】
2000年代に入ると圏央道の開通を見越して、久喜インター周辺に大型の物流倉庫の建設が始まります。
【2021年】
2010年代から現在に掛けては久喜地区の外郭である、鷲宮エリア、栗橋エリア、幸手エリアの住宅開発が進みました。
大型の商業施設としては、2012年に久喜地区と鷲宮エリアの境界線辺りに敷地面積117,500m²の大型ショッピングセンターのアリオ鷲宮が開業しています。
久喜市周辺の大型ショッピングモールとしては、2008年に菖蒲エリアに開業した敷地面積143,000 m²を誇るモラージュ菖蒲に次ぐ2施設目となります。
なお、現久喜市全体の人口は2005年の15万5千人をピークに減少に転じ、特にこの10年間では1970年代以前に開発が進んだエリアの高齢化が進み、著しい人口減となっており、現在の開発の中心は栗橋エリアに移っています。
久喜市では久喜地区→鷲宮エリア→栗橋エリアの順に開発が進んでおり、交通の便は良いものの、古い住宅と高齢者が多い久喜地区は今後の発展は見込めないでしょう。
現在の私は1970年代に開発が進んだエリアに住んでいますが、周りは老人ばかりです。(字別に見て行くと、田舎の過疎地以上に自然減率が高い事に驚愕しました)
なお、旧商店街のある久喜駅西口は随分前に商業地としての役割を終えており、かつての久喜駅のランドマークであった現クッキープラザはこのような変遷をたどっています。
GMSの忠実屋が開業したのが1990年ですが、既にこの年代にはGMS業態の業績に陰りが見られ始めていました。
従って結果論ではありますが、1990年に忠実屋が久喜駅前に出店したのは悪手と言わざるを得ません。
一方で久喜市初のGMSとして忠実屋よりも早い1974年に開業したイトーヨーカドー久喜店が、2020年代に入っても営業を継続していられるのは、埼玉県道153号線(幸手久喜線)沿いに立地している事により、車で来店する顧客を上手く取り込めたからでしょう。
全国的に1990年代以降に駅前立地のGMSが衰退した理由としては、モータリゼーションの発展に伴い、食品スーパーやドラッグストア、家電量販店、アパレル路面店などの郊外型の専門店が台頭した事が挙げられますが、イトーヨーカドー久喜店は1970年代初頭に久喜駅の西口の再開発が困難であった状況から、駅から離れた郊外寄りの現在の位置に開業した事により、当時のマストであった駅前立地の忠実屋とは対称的な運命を辿ったと見られます。
因みに1990年代以降にGMSに代わって出店を進めてきた専門店のうち、amazonなどのネット通販と競合するような家電や玩具専門店では撤退が相次ぎ、ネット通販で代替えされにくいドラッグストアやしまむらなどのアパレル路面店が生き残り、その他の専門店はアリオ鷲宮やモラージュ菖蒲の中で出店を継続しています。
久喜地区の主な店舗
久喜地区に展開する大型の店舗はこちらの通りです。ほとんどが県道3号(さいたま栗橋線に集中)
・アリオ鷲宮(厳密には鷲宮エリアだが、商圏は久喜地区が主)
・イトーヨーカドー久喜店
・クッキープラザ(駅前ビル)
・Park townショッピングセンター(スーパーマルサンを核とする小型SC)
・マルヤ久喜東店(食品スーパー)
・マルエツ久喜店(食品スーパー)
・ビッグエー久喜店(食品スーパー)
・ミニコープ久喜店(食品スーパー)
・業務スーパーヤマダ
・セキ薬品久喜東店/久喜中央店/久喜本町店/久喜吉羽店/久喜青葉店/久喜青毛店
・アクロスプラザ久喜(食品スーパーがない小型SC)
・ヤマダデンキ久喜店
・ケーズデンキ鷲宮店
・ニトリ久喜店
・スーパーオートバックス久喜店
・ケーヨーD2久喜店
・ホームプラザナフコ鷲宮店
・ロヂャース 久喜店
・しまむら久喜店
・ワークマン久喜店
・情熱職人久喜店
・くら寿司久喜店
・かっぱ寿司久喜店
・がってん寿司久喜店
・いっちょう久喜店
まとめ
以上、久喜地区の特徴について解説しました。
駅の近くであれば電車による交通の便は良いですが、既に久喜地区の住宅地は随分前に開発が終わっていますので新規分譲はほぼありません。
従って既存の空き家を購入し、建て替えるなどが現実的でしょう。
なお、商業の中心であるアリオ鷲宮は久喜駅から西に2.5km程度の位置にありますし、東北道のインターも駅の西側です。
宇都宮線・スカイツリー線の線路を越える道路は、既に駅の北と南の2ヶ所で高架化が終わっていますが、週末に駅の東側から西側に出るにはこのどちらかを通らなければならず、どちらもそこそこ渋滞します。
従って久喜地区で通勤や買い物などの利便性を追求しつつ、快適な生活を送りたい場合には、駅の西側で駅から1km圏内がおすすめとなります。
字名で言うとこちらが該当します。
・久喜本町
・久喜南
・久喜北
もともと久喜地区の市街地の形成は、江戸時代から人口が密集している久喜中央・久喜本町・久喜北の駅寄り、久喜南の駅寄りのエリアから広がり、商業地はこのエリアの住民へのアプローチを念頭に置いて開発されてきましたので、この4つのエリアが久喜市内で最も便利になっているのは当然の成り行きです。
このエリアの戸建て住宅は建売に近い安い物件でも建坪30坪ちょいで3000万台前半になります。
もう少し地価を下げるのであれば以下の選択肢もあります。
駅までの距離を広げて考える場合には、更に西側の久喜本や久喜上町辺りを検討されても良いでしょう。
また、週末のショッピングの渋滞は許容範囲だと言う場合には、駅の東側を検討しましょう。
久喜駅の東側のエリアは、高度成長期以降に開発されたエリアとなりますので、1km圏内では閑静な純住宅地が多いのが特徴です。
字名で言うとこちらが該当します。
・吉羽
これ以外のエリアになってくると、都市計画から外れたような市街化調整区域で、周辺道路が整備されていないようなところが多いので、今回の私のように敢えて市街化調整区域狙いなどの特別な要望がない限りはおすすめはしません。
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